SPECIAL
インタビュー
【第1部】café TATI sweets店主 村井修二さんインタビュー「学生・就職・東京編」
オノズカラシカルのスペシャルインタビューコーナーでは静岡県伊東市や伊豆で働いてる、活動しているなどのおもしろいヒトを紹介していきます。おもしろいというのはただ単にFUNNYというわけではなく、自分の人生を楽しく、面白く生きてるヒト、元気に生きてるヒト。
このようなヒトに突撃インタビューをして語ってもらっちゃおう!というコーナーです(アポはとります)
その第一弾として、インタビューをさせていただいたのはcafé TATI sweetsの店主である村井修二さん。
まだオノズカラシカルが始まってもなく何者かも分からない私たちのインタビューを快く受けていただきました!
café TATI sweetsは伊東で人気の大人が楽しめるカフェ。今年オープン15周年を迎えました。オシャレな店内では、同業者の方もレベルが高いというほどのスイーツにはじまり、食べものや飲みもの、お酒や季節限定商品などがメニューにラインナップされています。
同店のサービスは村井さんが行っており、その接客っぷり、話しっぷりは、もはやcafé TATI sweetsにおける一つの看板。それ目当てで来る人もいるとかいないとか。
(あれっ、私あんまり話してもらってない、、って言う人もいるかもしれませんが、お客様との距離感も含め、それもある意味村井ワールドかも!?)
インタビューの前に私達もちょっと腹ごしらえということで、お客さんとして和風キーマカレーとサンドイッチセットを注文。普通のインタビューやお店の紹介だとここで食レポをすると思うのですが、このインタビューコーナーでは、あくまでヒトにスポットを当てていきます。もちろん両メニューともに美味しいので筆者のおすすめメニューでもあります!
■ その他のサンドイッチメニュー を見る
インタビュー当日は私がカメラマンで妻がインタビュアーとして、昼間から夕方までインタビュー。結果、文字起こしだけでも約38000文字。A4用紙にすると約26枚!
村井さん、たくさんお話いただきありがとうございます!
とてもたくさんおもしろい話をしていただいたので、村井ワールドのエッセンスを探るべくいろいろと伺ってきたことを数回に分けてお届けしていきます。
一体どんな話が飛び出してくるのか!?なんだかワクワクしてきましたね。
いよいよ本題である村井ワールドへといざ!
さあ、村井ワールドへ出発しよう!
先程も書いたようにcafé TATI sweetsは今年で15周年。どのような気持ちで15年前にこの店を作ったのか聞いてみました。
「当時(15年以上前)自分たちが行きたい店が、伊東にまだなかったんですよね。それでこんな店があったらいいねとか妻と話をしていて、パティシエの妻とサービスの私がやってできることみたいな感じでカフェをやろうと。そして自分たちが一番行きたい店を作ったっていうのが、もともとのこの店の始まりですね。」
そうcafé TATI sweetsの原点を語る村井さん。
では、そこに至るまでに村井さんはどのように過ごしてきたのか、どうやって現在の村井ワールドが築かれてきたのか、過去を語ってもらいながら探ってみましょう。
学生時代
インタビュアー:村井さんは飲食店のサービスをずっとされてきたと思うのですが、それは若い時からその道に興味があってその道に進んだのですか?
もともと色が白いというか、人前に出ると照れてしまって赤くなっちゃうというか、人前で話すとあがってしまって、オーダーを取ったのを忘れちゃったりなんかして。高校生の時も飲食のアルバイトとかしてたりしてたんですけど、これはちょっと向いてないかな!なんて思いながらも、人を楽しませるのが好きだったのでやってたんですけども。
サービス業の始まりっていうところでもう少し具体的にいうと、実は私が高校生の時に、伊東にディスコがあったんですよ(笑)
インタビュアー:伊東にもあったんですね(笑)
あったんです(笑)ソウル好きな人が集まるみたいな。
それで順序だてて話していくと、そのディスコで働くことになったのも、安住堂(あずみどう)というレコード屋さんがあったの覚えてますか?
10年以上前になっちゃいますけど。アーケードの中に一軒と猪戸通りあったんですけど。
インタビュアー:え〜そうなんですね!両親とかは知ってるかもしれないです。
(インタビュアーの両親は伊東出身、インタビュアー自身も幼少期の頃に一時期伊東で過ごしていた)
そのレコード屋さんでアルバイトしてて、そこにディスコの中でやってる人もいて、私も洋楽とか音楽が好きだったので、「夜手伝いにくるか?」と言われて高校生の時からディスコでアルバイトしてて。
それで、大人の世界を知るというのがすごいワクワクするとか好きだったんで、そこからがスタートなんですよね。
高校を出てからサービスの面白さに開花
高校出る時に就職を決めるので、実は伊東でも有名な大手企業を受けたんですよ。
伊東では一流というか名のしれたところで。そういうところで平々凡々といければいいとは思ってたんですけど、そしたら校内選考で落ちてしまって(笑)大丈夫と言われてたのが急にだめになってしまって。それで、伊東市内にあるリゾートホテルに就職が決まって、働くことになったんですね。
そしたら初めて配属されるのがレストランという決まりがその時代はあったんですよね。それで、その当時にホテル内に出来たてのレストランに配属をすることになったんですけど、そこのマネージャーがお笑いをやっていたことがあって(笑)
でもかなり面白いこととかされてたり、ちょっとおかしな人だったんですけど、フレンチの名店とかで修行されてたサービスの方で、その人の元で働いていたらサービスの面白さに開花してしまって。
お客様を楽しませるためにはどうしたらいいかっていうことを、マネージャーからは事細かくは言わないんですけど、マナーとか知識がなければお客さんを楽しませられない。それをするためには勉強もしなければいけないしということを学びましたね。
インタビュアー:サービスをエンターテイメントとして学んだ感じですかね?
そうですね。結局は全てがエンターテイメントでサービス業だというのを学んで。
バブルの最後あたりの時だったんでお客さんもたくさんいらっしゃったので、どんどん任せてくれたり、いろんな企画だとかやらさせていただいたりして。
それでそのマネージャー、私の師匠と呼んでる人がホテルを辞めることになってしまって。上の言うことを聞かないで、自分のやりたいことをやりすぎてっていう私の憶測なんですが(笑)
私自身はそのリゾートホテルには3年ないくらい居て、そのあとなので20歳くらいのころなんですけど、その当時、バブルの波でイタリア料理がはやりだした頃だったんですね。
それで、もっといろんなことを吸収したい、もっと勉強をしたいと思った時に、師匠の先輩筋の方が、マキシム・ド・パリという銀座にあったフランスレストランの支配人だったので、そのツテでマキシム・ド・パリに紹介されて行ったという感じですね。
マキシム・ド・パリは1890年代よりフランスのパリに本店を置く老舗高級レストラン。
伊東を出て東京へ
インタビュアー:それまでは東京に出て行くつもりはなかったんですか?
はい。家庭のこととかいろんなこともあったので、全然出るつもりはなかったんですよ。伊東でこのままずっと普通に過ごせればというような感覚ではいました。
なんの野望もなく、そんな感じだったんですけどね(笑)
インタビュアー:東京へ働きに出ることに迷いはありませんでしたか?
はい、そこは迷いはなかったですね。今しかないかなと思ったりとか、勉強したいと思った時に、勉強できなかったり、やりたいことができないっていうのがちょっとアレかなと思って、親にも言って。
親も引き止めるわけでもなく、その時は快く伊東から出してくれました。
インタビュアー:銀座のマキシム・ド・パリっていうのは今はないんですよね?母がいつか入ってみたいという憧れの場所だったと言ってました(笑)
そうですね、2.3年前に閉店してしまって今はなくなっちゃったんですよね(マキシム・ド・パリは2015年6月に閉店)
私がマキシム・ド・パリいたのは7年、8年くらいなんですけども、その間に1年くらいはフランスに行ってたりしていて。
インタビュアー:え!マキシム・ド・パリに勤めてる間にフランスに行ったのですか?
そうですね。勤めてる間に行かさせてもらって。行かさせてもらったと言ってはなんですけども。
実家の両親は伊東の新井の漁師なので英語もしゃべれない、フランス語もしゃべれない。なにかあった時に言葉が通用しないので、マキシムという会社であれば英語もフランス語も話せる人がたくさんいるので、そこで中継地点を作ってもらって、それで、ちょっと行かせてくださいっていうことで、無期限だったんですけど休職をもらって。行かさせてもらったっていうのはそういうところになっちゃうんですけど。
インタビュアー:フランスに行きたいというのは何か目的があったのですか?
マキシム・ド・パリはゲリドンサービスと言ってワゴンサービスをよくするお店だったんですね。日本の中でそういったことの技術が高いお店だったんですよ。
フレンチの一つの楽しみに、ワゴンで食材をお客様の席に運んで、目の前で鳥を捌いたり、鴨だったりまるごと出てきた魚をうまく切り分けて、お皿に盛ったりとかするのがあって。それをゲリドンサービスって言うんですね。
そういうのをもっと若い子やみんなにも教えようという協会があったので、95年の時にそこに会社の中の一人として所属をしていて、料理に使うフランス語講座とかも学んだりしてて、その協会で年に1回研修旅行に行くっていうのがありまして。
さっきの伊東から東京への話じゃないですけど、もっと勉強したいって気持ちがあったので、研修で2、3週間くらいフランスからイタリアに行ったんですね。それで、昼夜、三ツ星二ツ星三ツ星二ツ星三ツ星三ツ星みたいな食べ歩きのツアーに行って。
もともとなんか外国とかそういうのが好きというのに気づいて、また働きに行きたいなっていう気持ちが増してきていて、どうせフランス料理をやってるならば、本当のフランス人はどういうった時にこういう料理を食べてるのかとか、いつもネクタイ締めて、ジャケット着て、ナイフとフォークでずっと食べてるかって言ったらそういうわけじゃないとか、そういうのを知りたかったんですね。
そういうのが分かってくるともてなし方も変わってくると思ったんですよ。
フランス人も三ツ星のフランス料理とかを毎回食べないじゃないですか。当時はそういうのが分からなかったんですよね。漁師の息子なのでなんにも知らなかったので(笑)
そういうのをいろいろ知りたくなって、実はもうその次の年にフランスに行くことを決めました。研修旅行の時に作ったツテを使ったりして。
96年に協会でちょうどそういう話が出たので、「それじゃ俺行きたい」みたいな(笑)
インタビュアー:すごいおもしろいですね。村井さんはもともと、伊東で生涯を普通に過ごそうと思っていたんですよね。伊東にいる時は外国とか興味があっても行くことはないと思ってたんですか?フランス料理もそうですよね。
そうですね。興味があっても行くまではって感じで。フランス料理もぜんぜん食べたことがなかったので(笑)
やっぱり男なので、かっこいいのが好きだったりとか、そういうふうに思っちゃう方なので、知らない世界だからこそ、フランス料理がかっこいいとか、女性にモテるためにお酒を知ってたらかっこいいとか(笑)こう下心からの勉強心というか(笑)
でもお酒も実はそんなに、今飲めないんですけど。味は好きなんですけど、飲むと真っ赤っ赤になってしまうんですよ。で、全身が心臓みたいにドックンドックンになっちゃう(笑)
飲んでも気持ちよくならないんで、味としてはおいしくいただくんですけどね。でないとワインとか売ってても、なんかこう身がないので(笑)
インタビュアー:なるほどー。もともとそういう探求心みたいなものは強かった方なんですか?
どうですかね〜。ただ、好きなものとかがあったのは確かだったので。
私の時代って、ステレオがはやったりとかしたんですよね。それをアルバイトでお金を貯めて買って。コンポみたいなのもあれば、一個ずつのもあれば、音響のアンプはあれがいいとかデッキはこれがいいとかって。音楽が好きっていうのから派生して、凝り性というか、よくある男のアルアルなんですけど(笑)
そういう凝り性のところでいくと、イタリアが好きになったり、フランス料理に入ったら今度はフランスが好きになっていって、というのが今でも続いてる感じなんです。
第1部 「学生・就職・東京編」 完
第2部 「フランス・帰国・帰郷編」へ続く。
第2・3部はこちらから読みください。
【第2部】café TATI sweets店主 村井修二さんインタビュー「フランス・帰国・帰郷編」
【第3部】café TATI sweets店主 村井修二さんのインタビュー「café TATI sweets編」
店舗情報
住所:静岡県伊東市渚町2-6 (Mapで見る)
定休:月曜定休日(月に1度連休有)
営業時間:11:30~18:30
ランチメニューは15:00まで
駐車場:あり(5台)
2000円以上のご利用で隣接する市営大川橋駐車場のチケット1時間分お出しします。
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