このようなヒトに突撃インタビューをして語ってもらっちゃおう!というコーナーです(アポはとります)
今回は前回の続きとして【第3部】café TATI sweets店主 村井修二さんのインタビュー「café TATI sweets編」。
村井さんが、とてもたくさんの良いお話をしてくれたので全4部作?として連載にして余すところなくお届けしてます。
まだ【第1部】【第2部】を読んでないヒトは、ぜひお読みください。
【第1部】café TATI sweets店主 村井修二さんインタビュー「学生・就職・東京編」
【第2部】café TATI sweets店主 村井修二さんインタビュー「フランス・帰国・帰郷編」
前回までのおさらいをしておくと、村井さんはあがり症でしたが、ヒトを楽しませるのが好きで学生時代のバイトを通じて飲食の世界へ。そして伊東市内にあるリゾートホテルに就職。そこで師匠と呼べるヒトに出会い、飲食のサービスとしての面白さに開眼していきます。そのまま伊東で過ごしていくのかと思いきや、その道を追求するべく数年後には、東京銀座にあるフランスレストラン、マキシム・ド・パリ(現在は閉店)へ。さらにはフランスでの研修をきっかけに本場で学びたいという思いから、フランスへ修行へ。フランスでは大変な思いもたくさんしたということですが、そういった経験からたくさんのエッセンスを受けて帰国。東京の店に戻り、その後伊東へと帰郷を果たしました。フランスや東京での経験を元に伊東で活躍する村井さん。そしてついにcafé TATI sweetsをオープンさせることになります。
ここから今回の話に入って行きます。café TATI sweetsは一体どのようにして出来たのか。オープン前夜からcafé TATI sweetsを営む上での想いや理想などを語っていただきました。
それでは、【第3部】café TATI sweets店主 村井修二さんのインタビュー「café TATI sweets編」をどうぞお楽しみください。
インタビュアー:第二部の所から少し話が遡るのですが、東京から伊東に戻って来た時にはまだ独立とかは考えてなかったんですか?
全然考えてなかったですね。実は一碧湖ホテルで働くようになった時にすでに妻がパティシェとして働いていて、そこで出会ってから付き合うようになって。それで当時、伊東には自分たちが行きたい店がまだなかったんですよね。だからこんな店があったらいいねとか二人で話をしていて、パティシェの妻とサービスの私がやってきてできること、みたいな感じでカフェだったんですよ。スイーツに特化したカフェみたいな。
私はワインとかに特化をして、妻は・スイーツを作って、料理は作る人がいないのでおつまみとかはなんとなく作って、スイーツに特化しながらも軽く飲めたりとか、大人のカフェをやりたいっていう。それで自分たちが一番行きたい店を作ったっていうのが、もともとのcafé TATIの始まりですね。
インタビュアー:村井さんも奥さんも二人ともお店をできたらいいねという想いだったということですよね?
そうですね。一碧湖ホテルにも5年くらい居たんですけども、それで独立かなって。そこから準備期間が一年ないくらいで、前の店舗の場所を見つけて、元々(そこが)携帯屋さんか何かだったところでがらんどうになっていたので、そこを借りてやることにしたんです。それが2003年です。結婚したのが1999年とかだったので子供はまだ生まれてない時ですね。
インタビュアー:お店を出すことに不安はなかったですか?
不安はありましたね。妻はちゃんと計画をたてる人なんですけど、私は割と勢いのイノシシ年の感じなので(笑)猪突猛進サービスなので、もうやりたいと思ったらやっていくっていう。
でもそれでバランスをとってくれてるのが妻で、アイデアとかやりたいこととかの気持ちは私が言って。私が好きなものを並べたらマイワールドになりすぎちゃって収集がつかなくなっちゃうので、その辺は妻が後ろ首掴んでうまくひいてくれてる感じですね(笑)
インタビュアー:良いバランスなんですね。でも、まったく違う感じの二人で喧嘩にはならないですか?
喧嘩にはならないですね。妻が大人なので。私がけっこうカッとなってしまうので、そうしたらその時に聞き入れられないことをわかってくれてるんですよね。だから自分で気づかないと駄目だからっていうように待ってくれたりとかってしてくれるので、その辺はすごく感謝してますね。
でも私はその中で好き勝手やってないと、活かされてこないというのはみんなわかってくれてるので。その中で私はフリースタイルのままでも行き過ぎないようにというか、妻に見られてるなと思うとそれ以上はやっちゃいけないんだっていう感じで上手くいってるというか(笑)
インタビュアー:息の合った連携プレーなんですね!お店は東京など都会でやろうとは思わなかったんですか?
そうですね。伊東を盛り上げたいというわけではなく、自分が行きたいっていうお店を(伊東で)やりたくて、自分たちのスキルがいかされるならすごく楽しいことかもって思っていたので。
今では東京にもあるんですけど、当時2003年頃スイーツに特化したカフェだとか、お酒の飲めるカフェというのはまだあまりないスタイルだったので、これはおもしろいかもって。でも全員が全員おもしろいって思う内容ではないと思っていたので、一部の人にでも長く愛されたいと思うようなスタンスでしたね。
ファミレスに3.4回行くのを、1回うちの店に来てくれたらいいかなみたいな感覚で始めて。
インタビュアー:価格帯はちょっと高めだと思うんですけど、それは最初からそのスタンスだったんですか?値段を高めに設定することに対しては不安はありませんでしたか?
不安はありましたね。でもやっぱり安売りだけはしたくないって今でも思ってるので。それでも合わせてるっていうのは自分たちではあるというか、本当は伊東でケーキ一個に500円以上出すっていうのは、ちょっとやっぱり高く感じてしまうと思うんですよね。だから、ギリギリの出し方を考えてみたりとか。
栗のタルトもすごい手間がかかってるので、本当は550円とか600円とか欲しいんですけども、ちょっとポーションを小さくして、食べやすいサイズにするとかってことで価格を抑えたりっていうことはちゃんとするようにはしてます。
インタビュアー:なるほど。お店の方向性というか、お店をやっていく中で村井さんが大切にしている想いなどあるんですか?
昔、西小学校の方にオーシャンフロントハウスっていう我々世代にすごく大人なおしゃれなカフェがあったんですよ。お酒も出してて。
そのお店に学生の時に何度か連れてってもらったりとかしたことがあったんですよね。ディスコ時代の知り合いだとか、地元の友達とか、私は同世代よりも、大人と呼べるような上の人との関わりが多かったので。
でもやっぱり高校生には入りづらいんですよね。大人になったら行きたい店っていうか、(前回の二部の話でもあるように)私の原点はそこでもあったんですよね。子供たちがそういう気持ちになるようなお店があればっていう。
実は今この店でも、子供同士の入店はお断りしてるんですよ。大人と一緒に子供が来るのはぜんぜん構わないんですけど、例えば高校生とかが制服できたりとか、中学生とかが小遣いをもらってきたとしても、ごめんなさい、お子様だけのご入店はご遠慮願いますって。
まあ高校出たらみたいな感覚ではいるんですけど、大人になったら行きたい店にしたいっていうか。伊東ではそういうところはすごい特殊なものになってしまうので、今でもわかってもらいにくいところではあるんですけど、でもそれだけは守りたいって私は思ってますね。(その想いがうまく伝わらなくて)結構誤解を招いてる部分もあるようなんですが。
ちゃんとマナーがあってとか、こういうところでは大人になろうっていう感じですね。伊東の若い子たちを育てたいというか、そういう気持ちをもたせたい。
大声を出すとか、周りの迷惑を考えないで騒いでしまうというのはマナーとしてよくないよっていう感じのものを勉強したりだとか、そういう社会があるんだよっていうのを知ってもらいたいっていう、そういう想いがあるんです。遠回しではあるんですけどね。
私は子供でも子供扱いはしたくないんですよね。ちゃんとしたお客様として大人のように接したいと思っていて。前の店だったんですけどカウンターで高校生が目の前でお酒を頼もうとしたので、「お客様、学生さんですよね?申し訳ありません。学生の方にはお酒を出すことはできないので」と言って。それまではなんとなくでしてたんですけど、それからは、ああこれはちゃんとしなきゃ駄目なんだって思いましたね。
親御さんといるのは良いんですけど、お酒を飲むところに学生さんだけがいるっていうのも、よくないなって思って、そこからはきっぱりとお断りしてますね。自分の整合性をとってるくらいな感覚になってしまうかもしれないんですけども。一個一個そういうことに向き合っていくことが自分を意固地にしていく部分ではあると思うんですけど(笑)
でも方向性が決まっていくというか、基本的にはなんでもありなんですけども、人の楽しんでるところを邪魔したらいけないっていうのがマナーの一つなので。最終的にはその方が子供にとってもいいんじゃないかって思うので。自分ができることでっていうことでそういう感じでやってますね。
やっぱりレストランとかでは17歳以下では入っちゃいけませんよとか、マキシムだとネクタイ&ジャケット着用とかっていうのがあったので。ここはそういう店ではないので、そこまで縛るつもりはありませんけど、それくらいは私としてはちょっとやりたいかなっていう。ささやかな、やるぞー!みたいな(笑)
インタビュアー:マキシムやフランスで感じた想いも大切にされているんですね。自分でお店をやっていて、一番楽しいことってなんですか?
自分の店なので、思ったことが形にできたり、思いついたらやっちゃえとか、今日良い何かが入りましたって言ったらすぐメニューに出せるので小回りが効くんですよね。今は何かをすぐにできるというのが自分の店では一番楽しいですね。
大きな会社でも働いていたので、そういうところでは何かをしようかといってもなかなかすぐにはできない。シェフとかだと違うかもしれないんですけど、これが今出てたら良いのにって思っても稟議書を書いてとか(笑)そういうのをやってたら良いものもなくなってしまうので。
なんかもうダジャレの一つでも思いついたら、それをメニューにしていくとか(笑)今のメニューなんかもいい名前が出ないまま、とりあえずモノができたからイッちゃえみたいな。それがホットポリフェノールっていう名前だったりとか。名前は全然イケてないですけど(笑)
でも格好良くなりすぎても格好いいのが逆にダサいっていう時もあるじゃないですか?格好つけちゃうというか。だからもうダサいならダサいままでいいかっていうノリで、わかりやすくホットポリフェノールってしたんです。
これもブルーベリーのノンアルコールジュースなんですね。寒くなるとホットワインってやるんですけども、私があまりお酒を飲めないので、ホットワインよりも温かいサングリアみたいな感覚で作るんですよ。それでちょっと自分なりのスパイスとかを入れてやるんですけど。
まあだいたいその時の思いつきで作るんで。微妙に出すたびに味が変わったりだとか(笑)
インタビュアー:なるほど。お客様からすると、その時その時のcafé TATIを楽しめるということですね!
ちなみに私は以前、起業支援の仕事に就いていたのですが、その頃のお客様の中にはお店を開店させることを目的にして、オープンしたら気持ちが続かないという人がいたりしました。村井さんはなんでそういつも熱いというか(笑)、飽きてしまうことなどはないんですか?
(笑)逆にそれは飽き性だからなんですよね。飽き性だからこそ、日々違うことをしないと自分が飽きてしまうので。
次の違う何かを探したりだとか、それが必ずしも飲食だけじゃなくて、絵画を見て(そこにインスピレーションを受けて)何かを取り入れたりとか、偉そうですがそういう感じもあったり。
メキシコのプロレスが好きで、ちょっとマリアッチ風なものができないかとか、そういう関係のものがないかとかいろいろ考えたり。ミックスでっていうか。そんな感じですよね。
新しいものを欲していっても限りがないので、今あるもので今までにないものを作るとか。
美味しいものって出尽くしてるっていうふうに思ってる感もあるんですよね。っていうことは美味しいものと美味しいものを掛けて、ハイブリッドみたいなもので今までにない感じのものを表現していくしかないんじゃないかって思ってるんですね。
そんなふうに思ってる時にサバソニがあったりして、サバとかアジっていうとそんなすごい特徴があるわけでもないし、もともと近くにあると良いものも慣れてしまうというか。日本全国どこでも取れるしみたいな感覚もあるので、それをいかにどう表現するかっていうところを思い返すいい機会になりましたね。
サバソニは正式にはサバーソニック&アジロックフェスティバル。伊豆のうまい魚を味わいながら楽しめるイベントとして、去年と一昨年の6月に開催され、一躍伊東の人気イベントに。詳しく知りたい方は下記URLからサバーソニック&アジロックフェスティバル公式サイトをご覧ください。
サバーソニック&アジロックフェスティバル
インタビュアー:村井さんの中ではいろんなことに興味があるということが無駄になってない感じなんですね?
そうですね。だから最後はぜんぶ何かに向けていくとか。反作用があったとしてもそれは反面教師だったりと思うようにしてるので。嫌なことはしなきゃいいだけですし。
インタビュアー:そう思うようになったのはお店を始めてからですか?それとも自然と?
自然とですかね。やっぱり人、先輩や後輩に恵まれてたと自分では思ってるので。それで会う人にいろいろ教えてもらうというか、いい例もあったり、もちろん駄目な例もあったり(笑)痛い目にもあったり(笑)
そんな中で自分にしかできないことってなんだろうって思ったことが今の形になってるっていう感じですかね。
インタビュアー:話が少し変わりますが、店名は映画監督のジャック・タチが由来なんですよね?ジャック・タチの村井さん的魅力や出逢いは何ですか?
そうですね。やっぱりヤラれた感なんですよね。友達に紹介されて初めて東京の六本木の単館系の映画館に見に行ったんですけど、そしたらなんだこれっておもったんですね。
10年に1回ジャック・タチのブームみたいなのが来るんですよ。それで、私が知ってからの初めてのブームのときに連れていかれて、実はそのときもほのぼのしすぎて寝ちゃってるんですよ(笑)でも面白かったっていうのがあって、なんかヤラれちゃったって。
自分の思ったことと違った結果が感動を生むと思ってるので、だからこれくらいの感じかなって甘く見てたものが、ドン!って違ったていう。さらに見るたびに面白さっていうのが変わっていくんですね自分の中で。日常を切って、でも角度を違うふうにみるといろいろあるんだよっていうことを発信してる人だったので。それがいろんな文献なんかを見ていくと計算されて映画を作ってるっていうのを知って、「あっすごいなっ」って思って、それで好きになって。
店を始める準備段階のときにケーキの予約販売をしていたことがあるんですが、その頃はまだ店舗がなかったので、その時に村井ってつけるよりも、じゃあ好きだったタチを名前につけてパティスリータチっていうのを仮の名前でつけてやったんですね。それが想いの外ひろがって、それで実店舗を持つときに、そのままタチでいこうかって言って、そのときはパティスリーでやってたんですけど、今度はカフェでいくので、カフェタチで始めたんですね。だから私がタチさんでもなんでもないっていうことなんですけど(笑)
第3部 完
次回いよいよ完結!?【第4部】café TATI sweets店主 村井修二さんのインタビュー「完結編 and more…」へ続く(現在作成中)
まだ第1部を読んでないヒトは、ぜひお読みください。
【第1部】café TATI sweets店主 村井修二さんインタビュー「学生・就職・東京編」
【第2部】café TATI sweets店主 村井修二さんインタビュー「フランス・帰国・帰郷編」
café TATIの夜の顔?月に一度の夜営業「café SALVADOR」のご紹介はこちらから
café TATI sweetsさん、月に一度の「café SALVADOR」に行ってきました!
このようなヒトに突撃インタビューをして語ってもらっちゃおう!というコーナーです(アポはとります)
今回は前回の続きとして、【第2部】café TATI sweets店主 村井修二さんのインタビュー「フランス・帰国・帰郷編」をお届けします。
まだ第1部を読んでないヒトは、ぜひお読みください。
【第1部】café TATI sweets店主 村井修二さんインタビュー「学生・就職・東京編」
前回のおさらいをしておくと、村井さんはあがり症でしたが、ヒトを楽しませるのが好きで学生時代のバイトを通じて飲食の世界へ。そして伊東市内にあるリゾートホテルに就職。そこで師匠と呼べるヒトに出会い、飲食のサービスとしての面白さに開眼していきます。そのまま伊東で過ごしていくのかと思いきや、その道を追求するべく数年後には、東京銀座にあるフランスレストラン、マキシム・ド・パリ(現在は閉店)へ。さらにはフランスでの研修をきっかけに本場で学びたいという思いから、フランスへ修行へ。
ここから今回の話に入って行きます。村井さんは一体どのようなことをフランスで学ばれてきたのか。
【第2部】café TATI sweets店主 村井修二さんのインタビュー「フランス・帰国・帰郷編」をどうぞお楽しみください。
インタビュアー:フランスではマキシムや所属していた協会の提携先で働いていたんですか?
紹介してもらったんですけど、最終的には自分で働きたいところを探して働かせてもらって。フランスには一年位行ってました。
フランスで働いてたお店はウストード ボーマニエールっていうプロヴァンスにあるお店で、今は二ツ星なんですけど昔からずっと三ツ星のお店で。
やっぱり三ツ星なので、ピカソだったり歴代の大統領だったり、モナコの国王だったり、エリザベス女王とかが来ていたレストランだったんですね。
インタビュアー:すごい所で働かれていたんですね!フランス料理の本場はどうでしたか?
本当に大変なこともたくさんで、フランス語もそんなに喋れるわけではないので。だからスタッフとか仲間からも馬鹿にされたこともあったり。だけど最終的には同じ人間だしっていうのは強く思いましたね。
私は日本でマキシムで働いていたので、サービスとしては何年かちゃんとやってきてるというか、日本では準備をちゃんとするということをしっかりと教えられたんです。
プロヴァンスの人は準備をするというかインスピレーションで動いてることが多いので。もちろんちゃんとしてる人はちゃんとしてるんですけどね。
プロヴァンサルっていう言葉があるんですけど、プロヴァンスのとか、プロヴァンスの人のとかいう意味なんですけど。7時の約束でも8時に来てもいいよみたいな。そういうノリの人が多いんですよね。
私は10人のパーティがあるなら、シェフにパーティのメニューを聞いて、そのために何を用意したら良いのかっていうのをちゃんと用意するっていうのを日本で習ってきたので、そういう方が効率的だし、お客さんにとっても良いことだからっていうことで、そういう風にやっていたんです。
そうやってやることやってたら徐々に私を選んでくれて、今日は大事なお客さんが来るから、修二入ってくれみたいな話でやらさせてもらったり。大体2.3人のチームでやることが多いんですけど、一番上が居て、その下がいて、またその下がいるみたいな。そういう中で私の下にフランス人を使わせてもらえたりとかもあったり任せてもらったりもしました。とかっていうのはすごく良い自信になりましたね。
それでなんかやっぱり同じ人間なんだなって思ったのが、やることやってればちゃんと認めてくれる。フランスは実力社会というか、日本よりもそういうのが強いのかなと思いました。
それと、日本では先輩だったら何々さんと呼ぶのが礼儀だと思うんですけど、フランスだったらセルジュとかジャン・クロードとかって、みんな同じなんですよね。支配人のことでさえ、ジャン・クロードって呼んだり。その辺がフラット。
だから喧嘩もしましたね。「おめえの方がちゃんとやってねえじゃねえか」とか(笑)
言葉はうまく言えないんですけど、掴み合いになったりとかっていうのもあって。でもそういうのも自信になった部分はありますね。
インタビュアー:すごい!カッコいいですね〜。そのお店で1年働いた後に日本に帰国することになったんですよね?帰る時はどんな気持ちでしたか?
大変なこともいろいろとあったんですけど、やっぱりもうちょっと居たいっていうのはありましたね。でも、マキシムにも迷惑をかけているというか、まだ東京の店に籍もあったので、新しいことを始めるから帰ってこいという通知が来まして。
まあ帰らなきゃっていう諦めと、ホッとした部分もあったといえばあったんですよね。それと期待ですかね。
鳴り物入りっていうわけではないですけど、フランスでやってきた自分を日本で試したいっていう気持ちもあったので。でもフランス語をすごい喋れるようになったってわけでもなかったですけどね(笑)
インタビュアー:本場フランスではどんなことを学んだことが大きかったですか?
当初フランスに行った時に知りたかったような、どういう時にフランス料理っていうシチュエーションを選んで、何を期待してお店に来てるのかっていうのは分かったような気がしますね。
やっぱりみなさんそういうところにくるのはスペシャルな時。
フランス料理なので、フランス人がどう思ってるかっていうのが一種の正解なので、それを知ったっていうのは自分の中ではすごい大きな収穫だったんですよね。
それと、マナーっていうのは周りの人に迷惑をかけなければっていうこと。
フランス料理というと、ナイフも右側から使ってとかややこしいことはあるにはあるんですけど、そういうことよりもガチャガチャ音を立てないとか。気持ちの問題というか、相手を思いやる気持ちを持つということを学んだ感じですね。
後は、特にフランスの場合は大人社会なんですよね。例えば三ツ星レストランとかは基本的に子供はいないんですよ。リゾート地とかはまた違うんですけども。そうすると子供はベビーシッターさんに預けて来たりとか。
大人の社会を大事にしているっていうのは、子供を大事にしていないわけではなくて、子供も大人になったらああいうところに行きたいって思う場所にしてあげるている感じなんですね。
お父さんとお母さんが楽しんでる姿に子どもたちが近づきたいとか。「ああいう大人に早くなりたい」と。だから(子どもたちは)その日のために家でナイフとフォークの練習をしたり。
やっぱりそうなるとお父さんとかもちゃんとしてなきゃいけないっていう戒(いまし)めみたいなのもあると思うんですよ。
インタビュアー:なるほど〜。それは確かに日本とは違う文化というか傾向ですよね。とても興味深いです。
そうですね。小さい頃からワインを水で薄めて飲むとか、そういうのはフランスではあるんですね。自分の土地で生まれたワインを飲むのは当たり前のことだと考えているんですね。
フランスではマリアージュといって食べ合わせという意味なんですけど、生牡蠣にはシャブリワインが合うとかいう話はよくあるんです。
生牡蠣が採れるのは海で、シャブリワインというのは今は内陸で作っているんですけど、実はもともとそこは海だったんですよ。牡蠣がいっぱい取れる土壌で。だから内陸でも蠣の殻とかがいっぱい残っていて、牡蠣のミネラル分とシャブリのミネラル分があうとか言われているわけなんです。つまりその場所で採れるお酒と料理っていうのは基本的にマッチングは最高なんですね。
そんな風に、自分が生まれた土地の地物を食べるというか、自分の土地のものをすごい愛しているんですよね。そういうのがあるので、どんどん子供達にも伝統を教えてっていくっていうのはある感じですね。
そういう伝統があるっていうのは根強いっていうか、例えばフランス人が鴨とかを捌いてても、違うんですよ毎回。
お客さんに合わせてマダムのところには少し柔らかいところを渡すとか、ムッシュには力強いところを渡すとか、っていうインスピレーションで、盛り方を変えていくとかがあって。
やっぱりそれは歴史だったりとか、血だったりDNAなのかなっていうのはすごい感じたんです。そういうところから、お客さんにフレキシブルな対応で少しづつタイトに合わせていくっていうところは学びましたね。
日本だと先輩に言われたようにやるっていうのが一番綺麗にできるって思うんですね。基本があってそこから外れることはあまりないんですけど。でも、そのパターンはいっぱいあるんですよね。
だからマキシムでやってよかったのが、すごい高いスタンダードを学んでたんですよ。そこでやっていたから後はどうにでもできるみたいな。イタリア料理でもスペイン料理でも、その土着とか流れを覚えれば、できるっていう自負はできたんですよね。
インタビュアー:なるほどです。フランスから帰国後はそのマキシムさんに勤めていたと思うのですが、マキシムを辞めたのは伊東に帰るためだったんですか?
伊東に帰ろうと決めたのは、本当は3年だけっていうことで東京に行ってたんですね。でも3年じゃ勉強しきれないってことで結局8年くらい行ってて、だからもうそろそろ帰らなきゃまずいなって思って。
フランス行って、マキシムに勤めて、まあそろそろかなと思って辞めた感じなんですけど。
インタビュアー:伊東に戻ってきてからは、また勤めに?
そうですね、今はなくなっちゃったんですけど、一碧湖の近くに一碧湖ホテルというリゾートホテルがあって、そこの料理長と、もともと伊東でやってた時の料理長が知り合いで、ちょっと話をしたら、ぜひぜひ来てくれという話になって。それでレストランのマネージャーみたいな形で入ることになりました。
その後、一碧湖ホテルを辞めてからcafé TATIを始める前に、お店を開店させるための準備期間をもうけてたんですけど、その時に師匠(第1部で登場)が滋賀の方でお店を何件かやってて、そこにヘルプみたいな形で行ったりしてて、イタリアンの居酒屋で働いてたこともあったんです。
イタリアンなんだけど居酒屋っていう。
ここは今のcafé TATI sweets通じてくるんですけど、元はフレンチでちゃんとしてるけど砕けた状態。
マキシムとかフランスで高いスタンダードを学んだつもりでいるので、崩しようはいくらでもあるんですよね。café TATI sweetsで出してる料理も私は作らないんですけど、フレンチのいろんなことを経験してきたので、それを伊東風にしたらどうなるのかとか、ハイブリッドというと大げさですけどもそういう意識で作ってますね。
新しいメニューをリリースする時は、私のアイデアとその土着、オリジナルっていうもので得点を付けていくという感覚なんです。で20点満点で、17.18点を狙っていくっていう感じなんですよね。
だから合格点を17.18点にしてて、それも加点方式だと思ってるので、素材で12点取ってて、後の調理方法とかで5点で、もうちょっと足りないっていうとそこにオリジナリティを足していくっていう感じにしてます。
まだ何か足りないとか、出したものが何か分からないっていうのが一番よくないと思ってるんですよね。だからはっきりさせなきゃいけない。食べた人がこれはサバだとか、これは今までに見たことがないというのをちゃんと感じてもらいたい。
オリジナルというのは感じてもらいやすいっていうか、今までに体験したことがないものって一番得点がつけにくいと思うんですね。
例えば牛肉の赤ワイン煮なんていうと、よくある料理なんですけど、赤ワインを伊豆で作った赤味噌に変えて作るとか、それにちょっとコクを出すとか、そういうちょっと、地元×オリジナル×フレンチの古典とかで、今までやったことをないことを狙ってるんですね。
インタビュアー:基本的に村井さんのインスピレーションでメニューを作り上げている感じなんですか?
そうですね。まあフランスが好きなんで、赤ワイン煮を作りたいと思うけども、本当に作るのは結構たいへんなので、そこを短縮しながらも、それっぽくどう出せるかっていう、最後はTATI風にしちゃえばなんでも良いんじゃないかっていう気持ちがあるんですよね(笑)
でその感じたことがないものを出すっていうことで、お客様の感動だったり、おっ!TATIっておもしろいねって思ってもらえればっていう、結局は「なんかここにくればなんかおもしろいね」って思ってもらいたいので。そのネタを散りばめているという感覚でやってるんです。
インタビュアー:それを基本がない人がやっちゃうと、ただの奇をてらうみたいになっちゃうんですね?
そうですね、やっぱり奇をてらって元がないっていう感じなっちゃうんですけど。マキシムもフランスでの経験も、その後のイタリア居酒屋も然り、そういうエッセンスも自分に向けてくるというか。
たとえばハーブの話でいうと、プロヴァンスのお店ではハーブティだけのメニュー表があったんですね。ドライとフレッシュっていうのがまずあって、オーダーが入った時に、あっ修二これ取ってきてって言ってはさみを渡されるんですよ上司に。それで外でローズマリー取ってこいって。それって一番最高にいい状態だと思うんですよね。やっぱり萎れてきてしまったりすると味も香りも落ちてしまうんで。
モナコに研修旅行にいった時も、大体フランス料理だとエスプレッソを飲むのが普通なんですけど、それをあえてハーブティにして、そうするとワゴンで鉢植えでもってきて、白い手袋をして、ドライとフレッシュどちらにしますか?って言って眼の前で切ってくれるんですよ。
café TATI sweets準備期間の時にも、熱海というか伊豆山の方のお店にちょっとヘルプの要請があって、そこでもハーブの知識を学んで。
これはもう伊東でぜったいやりたいと思って、ここでハーブを育てて、お客様のオーダーが入ると、あっじゃあ採ってきますっていってやってたりとか。ハーブだけでもそんな風に色々なところからエッセンスをもらってますね。
それでお客さんにちょっと外に出るのでお留守番しててくださいとか言って外に採りにいったりとか、そうするとお客さんもなんのこと?とかなったりとか。そういう演出が好きなので、パフォーマンスも売りの一つにするっていう。
ただ、メニューに書いてあるんですけど、ハーブティは暖かい時期だけって書いてあるんですよ。ハーブがならない時は出せないっていうことで、あえて限定にしてますね。
その場で摘んだものをお出しするっていうと、私のために今摘んで来てくれたんだっていうのは、やっぱりお客さんはとても喜んでくれるので。
そういうのをやっているのはすごい分かってる人か、グラメゾンと言って凄くいいレストランとかで。
箱根のオーベルジュ オー・ミラドーっていう、オーベルジュを日本で始めた第一人者の方のお店があるんですけど。オーベルジュっていうのは泊まれることができる高級レストランなんです。そこでもハーブを切ったりとかしてくれるんですね。
そういうハーブティや良いエッセンスを取り入れてこの伊東のカフェをやってるっていう自負はありますね。
第2部 完
【第3部】café TATI sweets店主 村井修二さんのインタビュー「café TATI sweets編」へ続く
まだ第1部を読んでないヒトは、ぜひお読みください。
【第1部】café TATI sweets店主 村井修二さんインタビュー「学生・就職・東京編」
このようなヒトに突撃インタビューをして語ってもらっちゃおう!というコーナーです(アポはとります)
その第一弾として、インタビューをさせていただいたのはcafé TATI sweetsの店主である村井修二さん。
まだオノズカラシカルが始まってもなく何者かも分からない私たちのインタビューを快く受けていただきました!
café TATI sweetsは伊東で人気の大人が楽しめるカフェ。今年オープン15周年を迎えました。オシャレな店内では、同業者の方もレベルが高いというほどのスイーツにはじまり、食べものや飲みもの、お酒や季節限定商品などがメニューにラインナップされています。
同店のサービスは村井さんが行っており、その接客っぷり、話しっぷりは、もはやcafé TATI sweetsにおける一つの看板。それ目当てで来る人もいるとかいないとか。
(あれっ、私あんまり話してもらってない、、って言う人もいるかもしれませんが、お客様との距離感も含め、それもある意味村井ワールドかも!?)
インタビューの前に私達もちょっと腹ごしらえということで、お客さんとして和風キーマカレーとサンドイッチセットを注文。普通のインタビューやお店の紹介だとここで食レポをすると思うのですが、このインタビューコーナーでは、あくまでヒトにスポットを当てていきます。もちろん両メニューともに美味しいので筆者のおすすめメニューでもあります!
■ その他のサンドイッチメニュー を見る
インタビュー当日は私がカメラマンで妻がインタビュアーとして、昼間から夕方までインタビュー。結果、文字起こしだけでも約38000文字。A4用紙にすると約26枚!
村井さん、たくさんお話いただきありがとうございます!
とてもたくさんおもしろい話をしていただいたので、村井ワールドのエッセンスを探るべくいろいろと伺ってきたことを数回に分けてお届けしていきます。
一体どんな話が飛び出してくるのか!?なんだかワクワクしてきましたね。
いよいよ本題である村井ワールドへといざ!
先程も書いたようにcafé TATI sweetsは今年で15周年。どのような気持ちで15年前にこの店を作ったのか聞いてみました。
「当時(15年以上前)自分たちが行きたい店が、伊東にまだなかったんですよね。それでこんな店があったらいいねとか妻と話をしていて、パティシエの妻とサービスの私がやってできることみたいな感じでカフェをやろうと。そして自分たちが一番行きたい店を作ったっていうのが、もともとのこの店の始まりですね。」
そうcafé TATI sweetsの原点を語る村井さん。
では、そこに至るまでに村井さんはどのように過ごしてきたのか、どうやって現在の村井ワールドが築かれてきたのか、過去を語ってもらいながら探ってみましょう。
インタビュアー:村井さんは飲食店のサービスをずっとされてきたと思うのですが、それは若い時からその道に興味があってその道に進んだのですか?
インタビュアー:伊東にもあったんですね(笑)
あったんです(笑)ソウル好きな人が集まるみたいな。
それで順序だてて話していくと、そのディスコで働くことになったのも、安住堂(あずみどう)というレコード屋さんがあったの覚えてますか?
10年以上前になっちゃいますけど。アーケードの中に一軒と猪戸通りあったんですけど。
インタビュアー:え〜そうなんですね!両親とかは知ってるかもしれないです。
(インタビュアーの両親は伊東出身、インタビュアー自身も幼少期の頃に一時期伊東で過ごしていた)
そのレコード屋さんでアルバイトしてて、そこにディスコの中でやってる人もいて、私も洋楽とか音楽が好きだったので、「夜手伝いにくるか?」と言われて高校生の時からディスコでアルバイトしてて。
それで、大人の世界を知るというのがすごいワクワクするとか好きだったんで、そこからがスタートなんですよね。
高校出る時に就職を決めるので、実は伊東でも有名な大手企業を受けたんですよ。
伊東では一流というか名のしれたところで。そういうところで平々凡々といければいいとは思ってたんですけど、そしたら校内選考で落ちてしまって(笑)大丈夫と言われてたのが急にだめになってしまって。それで、伊東市内にあるリゾートホテルに就職が決まって、働くことになったんですね。
そしたら初めて配属されるのがレストランという決まりがその時代はあったんですよね。それで、その当時にホテル内に出来たてのレストランに配属をすることになったんですけど、そこのマネージャーがお笑いをやっていたことがあって(笑)
お客様を楽しませるためにはどうしたらいいかっていうことを、マネージャーからは事細かくは言わないんですけど、マナーとか知識がなければお客さんを楽しませられない。それをするためには勉強もしなければいけないしということを学びましたね。
インタビュアー:サービスをエンターテイメントとして学んだ感じですかね?
そうですね。結局は全てがエンターテイメントでサービス業だというのを学んで。
バブルの最後あたりの時だったんでお客さんもたくさんいらっしゃったので、どんどん任せてくれたり、いろんな企画だとかやらさせていただいたりして。
それでそのマネージャー、私の師匠と呼んでる人がホテルを辞めることになってしまって。上の言うことを聞かないで、自分のやりたいことをやりすぎてっていう私の憶測なんですが(笑)
私自身はそのリゾートホテルには3年ないくらい居て、そのあとなので20歳くらいのころなんですけど、その当時、バブルの波でイタリア料理がはやりだした頃だったんですね。
それで、もっといろんなことを吸収したい、もっと勉強をしたいと思った時に、師匠の先輩筋の方が、マキシム・ド・パリという銀座にあったフランスレストランの支配人だったので、そのツテでマキシム・ド・パリに紹介されて行ったという感じですね。
マキシム・ド・パリは1890年代よりフランスのパリに本店を置く老舗高級レストラン。
インタビュアー:それまでは東京に出て行くつもりはなかったんですか?
はい。家庭のこととかいろんなこともあったので、全然出るつもりはなかったんですよ。伊東でこのままずっと普通に過ごせればというような感覚ではいました。
なんの野望もなく、そんな感じだったんですけどね(笑)
インタビュアー:東京へ働きに出ることに迷いはありませんでしたか?
はい、そこは迷いはなかったですね。今しかないかなと思ったりとか、勉強したいと思った時に、勉強できなかったり、やりたいことができないっていうのがちょっとアレかなと思って、親にも言って。
親も引き止めるわけでもなく、その時は快く伊東から出してくれました。
インタビュアー:銀座のマキシム・ド・パリっていうのは今はないんですよね?母がいつか入ってみたいという憧れの場所だったと言ってました(笑)
そうですね、2.3年前に閉店してしまって今はなくなっちゃったんですよね(マキシム・ド・パリは2015年6月に閉店)
私がマキシム・ド・パリいたのは7年、8年くらいなんですけども、その間に1年くらいはフランスに行ってたりしていて。
インタビュアー:え!マキシム・ド・パリに勤めてる間にフランスに行ったのですか?
そうですね。勤めてる間に行かさせてもらって。行かさせてもらったと言ってはなんですけども。
インタビュアー:フランスに行きたいというのは何か目的があったのですか?
マキシム・ド・パリはゲリドンサービスと言ってワゴンサービスをよくするお店だったんですね。日本の中でそういったことの技術が高いお店だったんですよ。
フレンチの一つの楽しみに、ワゴンで食材をお客様の席に運んで、目の前で鳥を捌いたり、鴨だったりまるごと出てきた魚をうまく切り分けて、お皿に盛ったりとかするのがあって。それをゲリドンサービスって言うんですね。
そういうのをもっと若い子やみんなにも教えようという協会があったので、95年の時にそこに会社の中の一人として所属をしていて、料理に使うフランス語講座とかも学んだりしてて、その協会で年に1回研修旅行に行くっていうのがありまして。
さっきの伊東から東京への話じゃないですけど、もっと勉強したいって気持ちがあったので、研修で2、3週間くらいフランスからイタリアに行ったんですね。それで、昼夜、三ツ星二ツ星三ツ星二ツ星三ツ星三ツ星みたいな食べ歩きのツアーに行って。
もともとなんか外国とかそういうのが好きというのに気づいて、また働きに行きたいなっていう気持ちが増してきていて、どうせフランス料理をやってるならば、本当のフランス人はどういうった時にこういう料理を食べてるのかとか、いつもネクタイ締めて、ジャケット着て、ナイフとフォークでずっと食べてるかって言ったらそういうわけじゃないとか、そういうのを知りたかったんですね。
そういうのが分かってくるともてなし方も変わってくると思ったんですよ。
フランス人も三ツ星のフランス料理とかを毎回食べないじゃないですか。当時はそういうのが分からなかったんですよね。漁師の息子なのでなんにも知らなかったので(笑)
そういうのをいろいろ知りたくなって、実はもうその次の年にフランスに行くことを決めました。研修旅行の時に作ったツテを使ったりして。
96年に協会でちょうどそういう話が出たので、「それじゃ俺行きたい」みたいな(笑)
インタビュアー:すごいおもしろいですね。村井さんはもともと、伊東で生涯を普通に過ごそうと思っていたんですよね。伊東にいる時は外国とか興味があっても行くことはないと思ってたんですか?フランス料理もそうですよね。
そうですね。興味があっても行くまではって感じで。フランス料理もぜんぜん食べたことがなかったので(笑)
やっぱり男なので、かっこいいのが好きだったりとか、そういうふうに思っちゃう方なので、知らない世界だからこそ、フランス料理がかっこいいとか、女性にモテるためにお酒を知ってたらかっこいいとか(笑)こう下心からの勉強心というか(笑)
でもお酒も実はそんなに、今飲めないんですけど。味は好きなんですけど、飲むと真っ赤っ赤になってしまうんですよ。で、全身が心臓みたいにドックンドックンになっちゃう(笑)
飲んでも気持ちよくならないんで、味としてはおいしくいただくんですけどね。でないとワインとか売ってても、なんかこう身がないので(笑)
インタビュアー:なるほどー。もともとそういう探求心みたいなものは強かった方なんですか?
どうですかね〜。ただ、好きなものとかがあったのは確かだったので。
私の時代って、ステレオがはやったりとかしたんですよね。それをアルバイトでお金を貯めて買って。コンポみたいなのもあれば、一個ずつのもあれば、音響のアンプはあれがいいとかデッキはこれがいいとかって。音楽が好きっていうのから派生して、凝り性というか、よくある男のアルアルなんですけど(笑)
そういう凝り性のところでいくと、イタリアが好きになったり、フランス料理に入ったら今度はフランスが好きになっていって、というのが今でも続いてる感じなんです。
第1部 「学生・就職・東京編」 完
第2部 「フランス・帰国・帰郷編」へ続く。
第2・3部はこちらから読みください。
【第2部】café TATI sweets店主 村井修二さんインタビュー「フランス・帰国・帰郷編」
【第3部】café TATI sweets店主 村井修二さんのインタビュー「café TATI sweets編」